ママちゃんは最強漬け。

子どもの発達特性や不登校などの課題に寄り添うママの備忘録

「とこちゃんはどこ」で読書感想文を書いてみた

昭和生まれの二児の母です。

 

小学生になったむすめが、初めての読書感想文に取り組んでいます。

最近の小学校は公立でも至れり尽くせり。

読書感想文のための「わーくしーと」なるプリントが配布されており、「なぜこのほんをえらんだのですか」といった設問に答えを書き込んでいくと、ほぼ読書感想文の枠組みが出来上がるという素晴らしいスィステムが構築されていた。

うちらの頃は「書け。」だけよ?

丸投げされてたっつーの!

 

ただ、最初の難関は「どの本で書くか」でした。

1年生なだけに課題図書がほぼ絵本なので、「うちにある絵本でもいいのか、だったらなんでもいいのか」とむすめに言われ、そこで押し問答に。

とりあえず「わーくしーと」にある設問が全部埋められるような、ただ単純にたのしくておもろいだけの絵本では「原稿用紙2枚は埋まらない」ぞと。

ダイヤモンドは砕けない」ぞ的にキメました。

 

むすめは課題図書を書店へ見に行くことを拒み続けたので、うちにある中でベストの本を選ぶよう命じたところ、

最終的に「とこちゃんはどこ」で書くと主張してきました。


とこちゃんは どこ (こどものとも絵本) [ 松岡享子 ]

 

これは、むすめが生まれたときよりずっと前、今ではだいぶ大きくなった上の子がよちよちの頃からうちにある絵本です。

それでもまだ好きって凄いなあと思い、そして、これまで長らくうちで色々な楽しみ方をした絵本でもあるなあと感慨深くもありました。

 

よい機会なので、そこんとこを振り返りつつ、ママン目線でもこの本について読書感想文を以下に書いてみることにします。

 

「とこちゃんは、今のうちだけ、どこ」 42歳 ももけい

わたしが子どもの頃はかこさとし先生が乗りに乗っていた時期だったのだろうか、絵本コーナーは彼の作品ばかりで溢れかえっていたような記憶がある。

この絵本もまた、幼いわたし自身が楽しんでいた。偉大なベストセラーである。

こういった「探し系」の絵本は現在、1ジャンルと呼べるほど国内外で様々なものが出ており人気を博している。

「ミッケ!」「ウォーリーを探せ」などの有名シリーズも親子で読んできたが、「とこちゃんはどこ」というただ一冊は、うちの子どもたちにおいて圧倒的に賞味期限が長い。

シリーズ化もされていないこの一冊がそれだけ長く愛されているのは何故だろう、と(とこちゃんと付き合って約40年目にして)時間を作って考えてみた。

 

探し系の絵本は、「目的の人(モノ)を探す要素」と「雑多なモブ(群衆)キャラを見て楽しむ要素」が基本材料である。

「とこちゃんはどこ」は、それだけでは済まない。

まず、とこちゃんが迷い込むすべてのシーンが、小さい子どもにとって身近で、かつ大好きなフィールド(動物園、おまつり、海、デパート)であること。

現実から乖離していない場所。

いきなり新しいフィールドへ連れ出されると、楽しい以前によくわかんないとか怖いかもしれない。

 

小さい子どもは、見知ったところを何度も行く、ぐらいが好きなのだ。

 

読み手の子どもは、とこちゃんを探しながらフィールドをくまなく見回って、あたかもそこを歩き回っているかのようにいろいろなものを目にして疑似体験をする。

ちなみにうちの子どもたちを、小さいころはあまり大きなデパートには連れていかなかった。

デパートでとこちゃんを探すページで「こんなの売ってるんだ~」などと社会勉強をしていた。そんな側面もある。

 

読み手の大人に対しても、憎い演出がある。

場面ごとに、とこちゃんを探してはほんろうされる保護者が入れ替わり、彼らの描写まで収めてある。

これを読んであげる人がおかあさんだとすると、

おかあさんがとこちゃんを探す場面では等身大の人間として共感をし、

おばあちゃんがとこちゃんを探す場面ではおばあちゃんの大変さを思い、

おとうさんがとこちゃんを探したりくたびれ果てる場面では「やっぱりな」と普段の夫のざっくりした育児加減を思い返しつつニヒルに笑う。

 

つまり子どもを育てている大人からすると、見開きごとに微妙に異なる感情が交錯するのである。

 

さらに、かこ先生のラフなタッチでモブ(群衆)が描かれているところもこの本の遊びかたに幅を持たせている。

なにやってんだかよく分からない人物が混ざっていて、流行に応じて「これはぜんらポーズだよね!」などと子どもたちが見つけては喜んだり、小さいモブ集団を見つけては「この一家は屈伸を掟とする一族」などと勝手にストーリーを仕立てて喜んでいたことを思い出す。

水彩風のタッチは目に優しくて馴染みが良く、多くの描き込みを長時間眺めていてもしんどくない。

そういう無意識的な部分は、子どもたちのほうがよく分かっているような印象がある。

 

時代や国をひたすらフラットに突き進むウォーリーに対して、

この本は小学校にあがる前のとこちゃんの行動記録でもあるところが、読み手の大人にも子どもにも長いスパンで響く。

当事者の年齢層の子がいる間は「小さいうちは、そんなこともしちゃうけど」と笑って許して、

いつしか子どもたちがそんな行為からは遠ざかってからも、懐かしく読み返すひとときが出てくる。

まだバザーには出さないで、もうしばらくは保管しておいてほしい。

 

デパートで立派なおようふく一式を揃えてもらってピカピカの一年生になったとこちゃんが背表紙を飾るところで、この絵本は終わる。

おようふくがちゃんとしたら、とこちゃんはもうちょっとちゃんとする(勝手にどっかへ行かない)だろうか、とほんのり我々に思わせておきつつなんにも語られないのも、さっぱりしていて気持ちが良い。

 

ある程度までしっかり見守ったら、本人の育ちに任すしかない。

この見送り感、まさに子育て・・・!!

 

ちなみに、むすめは「とこちゃんはたいへんです」などと書き進めています。

早くもお姉さんになりました。

 

お題「読書感想文」