大人なりにかわいいママンを目指したい、二児の母です。
そんなヘアスタイルにしてもらったはずが、ちょっと雨風にさらされただけで、もとい、ちょっと走って子どものお迎えに行ったとかそんな程度の向かい風で、「少年漫画には必ず出てくるやつ」みたいなヘアスタイルに変わってるのつらい。
大人なりにかわいいママンを目指したい、二児の母です。
そんなヘアスタイルにしてもらったはずが、ちょっと雨風にさらされただけで、もとい、ちょっと走って子どものお迎えに行ったとかそんな程度の向かい風で、「少年漫画には必ず出てくるやつ」みたいなヘアスタイルに変わってるのつらい。
GWは行きつけの道場がお休みでいつも残念、二児の母です。
さて世の中には、見た目に関して同じ遺伝子をもった人があちらこちらに存在する。
尊敬できる部分がある女性としか友達にならず、女友達の数が極端に少ない自分にとって、マーちゃん(仮)は貴重な旧友のひとり。
高校時代に、部活も専攻も違うのに友人つてで出会い、なんでもない話をしながらずっと仲良くしていた。離れた学校へ進学した頃は文通(!)をし、就職や結婚をした頃はmixiでやりとりをし、家族が増えた昨今はfacebookで交流が続いている。
マーちゃんは色白で目が細く、やせておらず太っておらず、髪が黒々としている。背丈はわたしより少し高いくらい。
話し方はすごくゆっくりというわけではないが、いつも穏やかな雰囲気が漂っていて、飾り立てない素朴な恰好をしている。が、とある素材分野においては学術的研究研鑽を重ねたプロであり、高度な理系である。中身のガチさと、見た目のゆるやかさとのギャップが良い。
遠くに暮らすマーちゃんとは滅多に会えなくなり、近況はSNSのお陰で知りつつも、マーちゃんの実体的な雰囲気をリフレインする機会はない。
しかし、子どもを園に通わせることがきっかけでトトちゃん(仮)というママさんと出会ったのだが、初めて会ってご挨拶したときに
「このひと、マーちゃんにすごく似ている。このひととは、間違いなく仲良くなる」
と肌にぴりぴり来た。
色白で目が細く、やせておらず太っておらず、髪が黒々としていて、わたしより少しだけ高い背丈。穏やかな雰囲気が漂っていて、飾らない素朴な恰好をいつもしている。
自分から誰かにべたべたする性分ではないが、トトちゃんとは、子ども同士が仲良しになったことも重なって、あっという間に親しくなった。
驚いたのは、トトちゃんが、見た目のゆるやかさと相反するように、非常に能力が高いひとだったことである。一言でまとめると、暮らしや子どもたちや学校のイベントで必要になったものは、食器棚から着ぐるみまで何でも自分で作ってしまう。
手先が器用というだけでなく、技術的な環境も充分すぎるほどであった。3月に卒園イベントで保護者が踊ったり狂ったりした日(後に書きます)の配布用 DVD も、彼女が撮影・編集を手掛けたと聞いている。
初めておうちへ遊びに伺ったときにトトちゃんは自分の macbook をリビングに置いていて、これはと思ってLINEスタンプを作った話をしてみたら、昨今のスタンプの作り方やトレンドについて彼女はとっくに周知で、楽しく意見交換ができた。素晴らしかった。
それはさておき言いたいのは、トトちゃんの見た目から「マーちゃん似」という強い親近感を持ったものの、後から「中身のガチさとのギャップ」というマーちゃんの最大の特徴が彼女にも在った事実である。
そして、トトちゃんもまた、わたしと同い年であった。
勝手ながら自分の腑に落ちた。
このひととマーちゃんは同じような遺伝子を持っていて、そういうひととわたしの遺伝子は相性がいいのだ。見た目からでもそう信じて、自分の殻を破ればいい。
この件があって以降、懐かしい友人に顔のかたちやバランスや体形がよく似たひとと街角ですれ違うと、「ああ、○○ちゃんと同じ遺伝子持ってるな」と気軽に声をかけたくなる。
どう声をかけようと怪しい感が拭えないので、至らないけれど。
去年度はなんの委員経験もないまま、学校PTA実行役員と市PTA役員をいきなり兼業しました、二児の母です。
先に言っとくと、PTAとは、学校の先生と保護者がスクラムを組んで、学校運営のために必要な雑用に当たるボランティア組織のことです。
子どもがいなかったり、子どもが学校に通っていないかたでも、「むかし、おかーさんがそういう集まりに出ていたっけかな・・・」と思い当たるのではないでしょうか。
昨今、過激な論調でPTAの存在や意義を否定する記事が話題になりやすい。
「いきなり(しかも重たい役割2つも)やらされた」保護者のひとりとして、そういった記事は気になってついつい読んじゃうのですが、
といった特徴が滲み出ていることが多くて「香ばしいな・・・」と思ってます。
去年度自分がそういう業務をやっていたことは近隣のママさんたちもご存じで、
「今度PTA委員決めがあるんだけど・・・PTAってたいへんでしょう?」
なんて、ざっくりとした全体像だとか腰が引けているご自身に対する同意やらを求められることがしばしばあります。
PTAに関わった方々の様々な思いや、小さな仕事や大きな仕事、PTA活動を通して知った地域の方々の貢献度合い、身近で感じられた先生がたの頑張り、
イベントとしても精神面としても、よもやまあったことをまるっとひっくるめて「たいへん」。
毎度この一言でくくられる件について、わたしは内心ものすごく残念に思ったり、ムカついたりしています。
PTA業務内容をよく分かっていないのに、なんでそんなに嫌がるんでしょうかね。
おそらくそれは、委員経験者が一言で「たいへん」とくくって語ってきたせいだと思います。薄い情報のくせに、いやさ加減だけが独り歩きをして、えらい勢いで広まっている。
わたしのとこの小学校はとても人数が多く、よって保護者の数も多いのですが、
PTA活動に対して積極的でない保護者が多い雰囲気があります。
仕方なく「子どもが在学中に一度は何か、委員を頼んます」という制度をとっていますが、それがプレッシャー感にもつながってしまう。
市PTA組織にも関わったことで、よその学校のPTA活動を知る機会が多かったんですが、
少人数な学校で「どの保護者も、毎年いくつかのPTA委員(役員)を兼任している」みたいな凄まじいPTA組織もありました。
そこのかたから聞いて驚いたのは、そういう学校のほうが、
選挙やくじ引きでイヤイヤ委員決めをしているのではなくて、「じゃーわたしが○○委員(役員)やるわwww」みたいなノリで、つまり立候補で委員(役員)がスパスパ決まっているという実態でした。
わたしんとこの学校のほうが人数は圧倒的に多いのに、このやる気の差はなんなんだろう・・・
根本的に「組織として、居て楽しいかどうか」にかかっているのではないかと思います。
きれいごとを言う気はなく、実際 PTA活動においては、自分の時間や体力を割く思いをする場面ばかりだと思うのですが
振り返ると、こんな1年間でした。
ん?これって・・・ああ、部活みたいだったわ、と。
もちろん責任もそれなりに伴うし、お金も動くんですけど、そんなことは大人だから分かるだろ。当たり前。ただ、若かりしの頃の部活的な楽しい雰囲気をそのままPTAにも持ってくることは可能だな、ということが身をもって分かりました。
少人数PTAさんの話に戻すと、少人数かつ長年気心の知れたメンバーの部活であれば結束感は確かに上がるわけで、1年間しか居ない「ゆきずり」のメンバーばかりの大きな部活(うちとこのPTA)を盛り上げるのはそりゃ~難しいかな、と思いました。
そういえば自分たちが学生だった頃も、まじめそうで学校に必要な団体のことは「○○部」ではなく「○○委員会」という名称になっていたけど、
輪として楽しくやっていけるんだったら「○○部」と言っても差し支えなかったんじゃないだろうか。
そして、冒頭に挙げた「PTAなくなっちまえ」論者には、こうした協力体制に関する情報や経験が欠けていて、与えられた役割をあたかも一人で背負わねばならないと思い込んでいる風がある。それじゃあ、不安になるのもわかる。
仕事を抱えている母親だけでなく、家事育児介護などで無償労働を抱えている母親もゴロゴロいる昨今です。
だからこそ、PTAの役割が降りてきたら、それぞれが出来る方法(効率的な伝達方法、活動時間帯etc.)を模索して、うまく役割分担をして、「ありがとう」とお互いに声をかけながら、学校に必要なことを - つまり、学校に通っている子どもたちに本当に必要なことを、やっていく。
これまでのやりかたにこだわる必要はありません。なので、母親以外の保護者にも参加する権利は当然あるし、むしろ参入いただくことでこういう流れを作りやすくなるように思います。
新しい保護者のかたちには、新しい組織運営の方法があります。
あら?
・・・それって、PTAに限った話じゃなくってよ。
働いているあなたがたが上手くPTAの仕事を回せたなら、仕事の上でもいつかふと、役に立つときが来るかんね。
え~、何から言ったらいいのかわからないですけど、二児の母です。という自己紹介をやった話。
昨年度は、子どもの通う学校で初めてPTA役員という肩書を賜っていました(ついでにもう1つ役職が追加されました)。
ふたを開けてみたら無償労働なくせに仕事が多すぎて、誰にも打ち明けはしなかったけれど心底はらわたを煮えくり返し、じっくりコトコト煮込みながら激務をこなしていました。
他のボランティア団体(や活動)だったら、もうちょっと実があったり楽しかったりするんだろうか、何かこう「怒り」より先へと思考を進める手がかりになるんだろうか・・・と、今月は、幾つかのイベントにてボランティアスタッフをかって出ていました。
そのうち、関東圏内では新しい、紙を使った雑貨などの販売を大々的に行うイベントがありまして、そこで最初にボランティアの人々が集って自己紹介をする場面があったんですけども、ここでわたしはひじょうに迷ってしまって冒頭の一言を発したわけです。
自己紹介をするときは、自分より前にスピーチした方々と比べてその長さは合わせますが、個人的には他の方々が使った言葉は繰り返さないように心がけています。
その場に集った方々が自分に興味をもっていただける(覚えていただける)ものでありたい。
ということは、自分の持っている特徴カードの束から、場の指向(カテゴリ)や目的に沿ったものを取り出していけたらすごくいいなあ。逆に、意外性のあるカードも出しておけたら印象は強まる。(と後からになって思うのです)
その紙ものイベントの説明会で集まっていた方々は、ボランティアスタッフも説明側スタッフもこんな感じのカテゴリでした。下線をひいたものは、わたしと皆さんにおける共通事項。
で、わたしが持っているカードはけっこうあり、短い時間にすべてを言うのははばかられ・・・
この中から自分を端的に表現できるカードを瞬時に選んだ結果、バックグラウンドを説明できる 3と4をはしょってしまって 1 と 2 と 5 。
空手は自分の日常に混ざっていることなのだけど、そういえばこのカテゴリの方々にはご縁がないことだろうしどうも強烈すぎたようで、なにもかもをすっ飛ばして「空手のひとだ」という覚えられ方に・・・(''Д'')
でもまあ、(こんだけ書いといて)自己紹介なんてのは最初のとっかかりに過ぎない。
そのあとスタッフ活動や懇親会でみなさんと交わりながら、「ノート自体やノートへ書くことに対しては変態」と正しく認識していただけたので、一切の悔いなし。
このイベントでスタッフ休憩時間を削りながら買ったもの。
スマホを持つようにはなったけど、やっぱりなにかしら手でペンを持って書きつけていきたいね。触ってめくって楽しいのは、スカートだけではないのだ。
※今週のお題「自己紹介」
買いに行く。
きほんのちょうみりょうを
がっこうでひつようだといわれたものを
あのほこりをきれいにはらえるどうぐを
ちいさくなったふくのかえを
かいにいく
あめそぼるひも、てりかえしきついひも
かいにいく
なくてもどうにかなるけれどここにぴったりはまるものを
あったらひといきつけるものを
ときどきじぶんがどきどきするものを
かいにいく
だいなりしょうなりのいのちをしょっちゅう
かいにいく
わたしがかいにいかなければだれもかってきてくれないから
みてさわっためかたのなかにしんじつがあるから
わたしだけにきこえるおんがくをかけながら
かいにいく
あしどりしっかりと
かいにいく
できるだけ。
新しいポテチ、食べたくなぁい?二児の母です。
先日コンビニのおかし売り場の最上段に、ズラッと「KOIKEYA PRIDE POTATO」という高級寄りなポテチが3種類並んでいたのを見かけました。かなり独特な配置で、目立ったものです。
それらは1週間のうちに売り切れまくり、気づいたら一部のコンビニで「のり塩」だけが僅かに残るにとどまっていました。
焦ったのでそれを買い、「本当にすごいポテチなのか」をどうしても感じ取りたくなって、以下3つを比較考察することにしました。
上が「PRIDE POTATO」、下左が「デフォルトのり塩」、下右が「カルビーのりしお」です。テキトーにつかんで載せています。
PRIDE POTATO と他2製品との相違点を、目立つ順に挙げていくとこうなります。
◎硬さ(噛みごたえ)
○おいもの小ささ
○色の明るさ(揚げた感の茶色、が少ない)
△味の濃さ
正直、味については感動するほどの違いを感じられませんでした。PRIDE はなんとなく味が濃い目です(注記:ジャンクスナックずきの舌)
明らかに他と異なるのは、固さです。
固さでいうと
PRIDE > デフォルトのり塩 > カルビーのりしお
です。
薄さのメリットから言うと、カルビーのりしおは、そのおかげでふわっと食べられます。口に入れてから、歯をそんなに使わずとも潰せます。
薄いので、袋の中でいっぱい割れているのも仕方ないかもしれません。割れてるとこをちびちびつまんで食べ、のり塩だらけになった指先を舐めるという一連のステップが好きだったりもするので、個人的にこれはデメリットとして数えないこととします。ただ、薄いぶん油っぽさ(油の溜まり)を感じさせるチップスも見受けられました。
なお、あっという間に揚がるのでしょう、茶色い部分が目立ちます。茶色さは、PRIDE以外の2品はほぼ同じ。
PRIDE には茶色部分が少なく、おいも表面が明るくてキレイです。
上の、3点を並べた写真でも、なんとなく全体的に明るいことが分かります。
とか言ってよく見たら PRIDE の中にもキレイなのと茶色いのがあったのですが、食べ比べてみたところ、キレイなやつはおいもの甘味が伝わり、茶色のやつはなんの風味もなくてのり塩味だけが乗っているという感じでした。ということは、キレイなほうが美味しいと言えます。
固さの話に戻ります。
PRIDE は、例えばカルビーの「堅あげポテト」のような、ガリガリっとした強めの固さを追求したものではありません。が、奥歯で普段程度の負荷で噛んだときに
「ザクッ・・・」
とした食感を得られます。
わたしの愛する、非常にほどよい濡れ煎餅(※)があるのですが、あれの快感に通じるものがあります。噛みしめたときに「ザクッ」がある悦び、それを寄せる波の如くリピートしながらじっくりと味わう感じ・・・。
比べて食べてみると、そこが非常によくわかります。
おいものスライスにあたって、mm以下の調整を重ねているという事実に改めて気づかされました。チップス界では当たり前なのでしょうが、すごいことです。
なお、割れているチップスが少なかったのも PRIDE POTATO でした。固いから当たり前かと思いますし、固いという理由から一口で入りやすいサイズのおいもが規格として選ばれているような感もあります。大き目のポテチを唇でくわえて割ってると、唇の端にだんだん塩気が溜まってきてピリピリしみますが、そういえばそのストレスからも解放されるという寸法。
・・・のり塩味だけで比べたのに、味でなく「固さ」の話に終始する結果となってしまいました。
PRIDE の他味「だし塩」「炙り和牛」に関しては、食感はおそらく同じである上にユニークなテイストになっていますので、そりゃあきっと、はぁ、もう、ウマママでしょうね。出遅れた自分は尽きぬ涙を流しつつ寝床につくのみです。
どれが劣っている、という話は避けています。
特にロングセラーにおいては「これが好きだ!」という多くのユーザーに支えられているモノであるし、どういったものが好きかは個性に委ねられるものです。
ゆえに、納豆が大嫌いなままで生きていきます。
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二児の母です、with B。
育児始まって以降、気を抜くのが下手なせいか滅多に風邪を引かないのです。
引いてもちょっと空手稽古に行って大汗をかいてくれば治ったし、本能の赴くままに野菜スープを作ってかきこんでいるとそれが理にかなっていたようで速攻で治ったり、健康にはけっこう自負があったほう。
が、いま引いている風邪が、ごくゆるいくせにかれこれ2週間ほど長引いているのが、そろそろおかしい感。鼻だけがずっと滞る不愉快。市販薬をちょっと飲んでみたけど、そんなに変化も起こらない程度のハードルが低い風邪。
それと当時にチーズ味のスナック愛が盛り上がっていて、(これまでスナック類は子どもにも自分にも極力買わないように気をかけてきたのに)タガが外れて朝から一袋余裕で空けたりしていて。
あるとき、子どもの入学準備でひとりで出かけていると、なんの心当たりもないのに胃の辺りがもやもやと不快になった。冷や汗が出てきた。
おなかがおかしくなるというのは、慣れていないこともあるかも知れないけれど、とても不安が募るものだった。「ここで一体わたしはどうなるんだろう」そして「混んでいる街中の、いったいどこで休めるだろう」と。
そういえば、空手で一番痛い思いをしたのはおなかに蹴りを入れられた時なんだけど、あれをもらうと(勿論もらった時は衝撃的に痛いわけですがそれだけでなく、)後からジワジワと「もう何もやりたくない感」がこみあげてくる。そこが、非常にしんどくてイヤな部分。
つまり、おなかの具合と心は密接に関わってくるというのが最近の結論。
おなかが好調でない時、心はとても弱るのだ。
(・・・比較的健康なわたしですらそうなんだから、おなかに持病のある人はもしかしたら、物凄く自分のメンタルコントロールに苦しんでいるのかもしれない)
スナックを食べ続けていることと風邪が治らないことはここで繋がり、ああそうかこれは「ちょっと病むループ」なんだな、と思い当たっている。
栄養が無くて刺激が強いものを食べるから、元気になれない。健康じゃないから、麻薬的なきつい味わいを欲しくなる。
そしてどうやら、2月は例年、疲れを感じて落ち込んでいる時期のようなのです。
facebook の「過去のこの日を振り返ってみましょう」機能がお気に入りなのだけど、きょうは、1年前のきょうにこんな投稿をしていたのが出てきました。
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日々、家族に「できたらこうしてほしいんだけど」って柔らかく頼んでみることにも疲れちゃって、最近は、できるだけ好きなものをかき集めて自分をなぐさめることで精いっぱいなの。
仕事や外で、家族以外の誰かほかの人と話したり共同作業をするつながりを持っている人は、それ自体がすごく大切で気持ちを支えていることだという真実を、覚えていてほしいわ。
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これを書いた時期は孤独な(まさに、仕事場にわたししか居ない状況で)事務仕事に明け暮れていた頃で、家族ぐらいとしか話をしない生活でした。もし家族とぎくしゃくしたら、そりゃ自分の世界全体が暗くなるわって話。
これに対して今年度は、学校のPTA役員を引き受けたら市のPTA関連委員も引き受けることになってしまった、今までに経験のないぐらいスケジュールが詰まった年度で。
1年前の自分に言いたい。
「ほかの人と話したり共同作業をするにあたっての環境は、自分の好きになれそうな場所を、ちゃんと選びとったほうがいいわよ」
使命感で頑張ってきたけれど、仕事内容自体にはさほど魅力を感じられなかった。
総じていい人たちだったけれど、燃えるほど一緒に頑張れる人は見つからなかった。
総論:
新しい世界に飛び出してはみたけど、そんなにおもんなかったな(ぶった切り)
年度末って、春に引き受けて1年間ひたすら突き進んできたことに対して、蓄積してきた心身の淀みやらオリやらを自覚する時期なのかもしれない。
「あとちょっとで終わる」のが見えてくる時期って、それを鼻先の人参のようにしてスパートがかかる瞬間もあるけど、これまでに出さなかった弱さがもれ出たりもするんだね。
今年度、寝つきはすごく良いらしい。今夜もお布団に同化するように気絶しよう。