アザレのシカク

カテゴリが多すぎる兼業主婦アザさんの視覚?死角?□?な日記

ただの里帰りじゃ終わらせねえ

激務でしたがお盆休みは無事に帰省、二児の母です。

 

実家は遠方につき、顔を見に行くのは年に数回。半年ぐらいご無沙汰して両親に会うと、記憶の中の彼らよりもだいぶ老け込んでいて、笑顔なんだけども不安を誘う。

ついでに、久しぶりの父は初めてうんとヒゲを、母はうんと髪を伸ばしていて、意味なく様変わり。意味なくショック。

 

年を取り孫をもった両親は優しくなり、帰省すれば手料理をふるまってくれ、子どもが小さいうちからだいぶ楽をさせてもらっている。特に父のマルチ主夫ぶりは素晴らしいものがあるけれど、やはり年齢には抗えないようで・・・

家のあちこちに手が行き届かなくなっている様子が、少しずつ目につくようになった。彼らと同じように、家自体や置いてあるモノ達も、「少しずつ古びながら、ずっとそこにある」様相となってきている。

 

ここ数年は、(子どもたちが手を離れて遊んでいてくれるようになったこともあり)帰省のときには料理をしっかり手伝うように切り替えた。

この夏はそれだけでなく、エアコンのリモコンが1つ老朽化し過ぎていて壊れていたことをきっかけに、「実家をどこか1つでもメンテナンスしてから帰ろう」という気持ちになった。

 

(ちなみに壊れたリモコンは処分せざるを得ず、20年以上前の製品の代替品を探しに行く方法や手間を思うと気が遠くなりそうになったが、他の部屋のリモコンが使えることが判明。

両親に話して、こんな説明書きを付けることにした)

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「視力が落ちた」ということは、「汚れていても分からない」ということなんだなぁ。

実家は田舎ならではの汚れ方で、埃のたまったところにプラスアルファ(泥とか小虫とか)も溜まっていく。また、なんとなく捨てられなくて置いてあるモノがあちこちに溜まっていては忘れ去られ、そういうものの温床になっている。

両親は比較的きちんと掃除をしている人たちだが、そういう事実を、忘れたり気付かなくなったようだ。

 

田舎の一軒家での帰省時におけるモヤモヤスポットとして、風呂場の電気の傘というのがある。

外から小さい虫が入り込んで溜まっていくんだけど、電気をつけたとき・・・つまり風呂に入っているときに初めてそこが中から照らし出されて「うわっ」となる。入浴中は見ないふりをし、そして大概、風呂から出た途端にそのことを忘れる。

 

何年もその繰り返しをしてきたんだけど、今夏は遂に、そこを綺麗に掃除した。

作業は軽度認知症の母と一緒にやった。立ち会ってもらいながら電気傘を取り外し、ついでに母が指摘してきた換気扇部分を試行錯誤して初めて取り外し、その内側や風呂壁や天井周りをハイターつきスポンジで拭き掃除した。

なんとなく放置されてきた黒カビがとれて、だいぶ綺麗な風呂場になった。いつかまた小虫が飛んでくるだろうけど、今だけは、電気傘もピカピカだ。

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風呂場の小物置きに置かれ続けていた、びりびりの泡立てネットや古い試供品のミニボトル群(全部カビ生え)も母と確認をしながら処分をして、意味なくモノが溜まっている状態をなくしておいた。

ただ、母はその場で一緒に作業をしても、やった内容やその事実自体を忘れてしまう。

掃除のあとには父にも風呂場を見せて、今日やった掃除内容を説明した。あとから母が「〇がなくなっている!」とパニックにならないように。

 

母はこの風呂掃除の間、「折角休みに来ているのに汚い仕事をさせてしまって、」という言葉を10回以上繰り返した。認知症のせいというより、元々の性分だろう。

 

「いつか突然に」実家の中のすべてのことがストップする事態も在りうる。

ひどい状態になる前に少しずつ小綺麗に、モノや置き場の無駄がないように。暮らしている本人たちと話し合いながら整頓をつけていければと思う。

 

ちなみに、地味な大掃除をやっている間は、「わたしはこの家のTOKIO」と思って作業をすると効率が良いです。

 

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お題「帰省」

もしもママンが「とこちゃんはどこ」で読書感想文を書いたら

タイトルは「ドリフの大爆笑」っぽい感じで読んでほしい、昭和生まれの二児の母です。

 

小学生になったむすめが、初めての読書感想文に取り組んでいます。

最近の小学校は公立でも至れり尽くせり。読書感想文のための「わーくしーと」なるプリントが配布されており、「なぜこのほんをえらんだのですか」といった設問に答えを書き込んでいくと、ほぼ読書感想文の枠組みが出来上がるという素晴らしいスィステムが構築されていた。うちらの頃は「書け。」だけよ。丸投げされてたっつーの!

 

ただ、最初の難関は「どの本で書くか」でした。1年生なだけに課題図書がほぼ絵本なので、「うちにある絵本でもいいのか、だったらなんでもいいのか」とむすめに言われ、そこで押し問答に。とりあえず「わーくしーと」にある設問が全部埋められるような、ただ単純にたのしくておもろいだけの絵本では「原稿用紙2枚は埋まらない」ぞと。「ダイヤモンドは砕けない」ぞ的にキメました。

むすめは課題図書を書店へ見に行くことを拒み続けたので、うちにある中でベストの本を選ぶよう命じたところ、最終的に「とこちゃんはどこ」で書くと主張してきました。

とこちゃんはどこ

これは、むすめが生まれたときよりずっと前、今ではだいぶ大きくなった息子がよちよちの頃からうちにある絵本です。それでもまだ好きって凄いなあと思い、そして、これまで長らくうちで色々な楽しみ方をした絵本でもあるなあと感慨深くもありました。

よい機会なので、そこんとこを振り返りつつ、ママン目線でもこの本について読書感想文を以下に書いてみることにします。

 

「とこちゃんは、今のうちだけ、どこ」 42歳 アザレ

わたしが子どもの頃はかこさとし先生が乗りに乗っていた時期だったのだろうか、絵本コーナーは彼の作品ばかりで溢れかえっていたような記憶がある。この絵本もまた、幼いわたし自身が楽しんでいた。偉大なベストセラーである。

こういった「探し系」の絵本は現在、1ジャンルと呼べるほど国内外で様々なものが出ており人気を博している。「ミッケ!」「ウォーリーを探せ」などの有名シリーズも親子で読んできたが、「とこちゃんはどこ」というただ一冊は、うちの子どもたちにおいて圧倒的に賞味期限が長い。シリーズ化もされていないこの一冊がそれだけ長く愛されているのは何故だろう、と(とこちゃんと付き合って約40年目にして)時間を作って考えてみた。

 

探し系の絵本は、「目的の人(モノ)を探す要素」と「雑多なモブ(群衆)キャラを見て楽しむ要素」が基本材料である。「とこちゃんはどこ」は、それだけでは済まない。

まず、とこちゃんが迷い込むすべてのシーンが、小さい子どもにとって身近で、かつ大好きなフィールド(動物園、おまつり、海、デパート)であること。現実から乖離していない場所。いきなり新しいフィールドへ連れ出されると、楽しい以前に怖いのかもしれない。小さい子どもは、見知ったところを何度も行く、ぐらいが好きなのだ。

読み手の子どもはとこちゃんを探しながらフィールドをくまなく見回って、あたかもそこを歩き回っているかのようにいろいろなものを目にして疑似体験をする。

ちなみに大きなデパートにあまり連れていかなかった頃の子どもたちは、デパートでとこちゃんを探すページで「こんなの売ってるんだ」などと社会勉強をしていた。そんな側面もある。

 

また、読み手の大人に対しても、憎い演出がある。

場面ごとに、とこちゃんを探してはほんろうされる保護者が入れ替わり、彼らの描写まで収めてある。これを読んであげる人がおかあさんだとすると、おかあさんがとこちゃんを探す場面では等身大の人間として共感をし、おばあちゃんがとこちゃんを探す場面ではおばあちゃんの大変さを思い、おとうさんがとこちゃんを探したりくたびれ果てる場面では「やっぱりな」と普段の夫のざっくりした育児加減を思い返しつつニヒルに笑う。つまり子どもを育てている大人からすると、見開きごとに微妙に異なる感情が交錯するのである。

 

さらに、かこ先生のラフなタッチでモブ(群衆)が描かれているところもこの本の遊びかたに幅を持たせている。なにやってんだかよく分からない人物が混ざっていて、流行に応じて「これはぜんらポーズだよね!」などと子どもたちが見つけては喜んだり、小さいモブ集団を見つけては「この一家は屈伸を掟とする一族」などと勝手にストーリーを仕立てて喜んでいたことを思い出す。

水彩風のタッチは目に優しくて馴染みが良く、多くの描き込みを長時間眺めていてもしんどくない。そういう無意識的な部分は、子どもたちのほうがよく分かっているような印象がある。

 

時代や国をひたすらフラットに突き進むウォーリーに対して、この本は小学校にあがる前のとこちゃんの行動記録でもあるところが、読み手の大人にも子どもにも長いスパンで響く。

当事者の年齢層の子がいる間は「小さいうちはそんなこともしちゃうけど」と笑って許して、いつしか子どもたちがそんな行為からは遠ざかってからも、懐かしく読み返すひとときが出てくる。まだバザーには出さないで、もうしばらくは保管しておいてほしい。

 

デパートで立派なおようふく一式を揃えてもらってピカピカの一年生になったとこちゃんが背表紙を飾るところで、この絵本は終わる。おようふくがちゃんとしたらとこちゃんはもうちょっとちゃんとする(勝手にどっかへ行かない)だろうか、とほんのり我々に思わせておきつつなんにも語られないのも、さっぱりしていて気持ちが良い。

ある程度までしっかり見守ったら、本人の育ちに任すしかない。この見送り感、まさに子育て・・・!!

 

ちなみに、むすめは「とこちゃんはたいへんです」などと書き進めています。早くもお姉さんになりました。

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お題「読書感想文」

手先が不器用な人向けかも、なミニ財布「コモド」

息子はアスペルガー症候群、二児の母です。

 

彼は小さいときから手先の不器用さがあり、中学生になっても靴ひもを結べません。できないことについては練習も大切にしていますが、できないことが色々あるという現実に加えて心にかかる負担が強い特性から、些細な「できないこと」については便利グッズでカバーもしています。

 

小さい頃は徒歩圏内でも一人で出歩くことを怖がりましたが、この頃はようやく、近所のお店に小さなおつかいを頼むこと(という練習)が出来るようになりました。

指がつっぱり易く、お財布の小銭入れをまさぐって手先だけで小銭を探すのに手間取ることもよくあるので、ちょっと工夫されているお財布がないかなと思っていた折。

やや値は張るのですが、ユリシーズという、元々はカメラアクセサリーを作っているショップ(!)にて、こんなお財布を見つけました。

  • ジッパーが大きくて、また力が要らずに開きやすそうなこと
  • ジッパーだから閉めやすく、また閉め忘れがない=小銭がこぼれないこと
  • バリバリテープのように、服にひっつく素材がないこと
  • 小銭を入れるスペースが浅いハンモックのようになっていて、入っている小銭が一発で見渡せること
  • けっこう小銭が入って折りたたんだお札も入るのに、ポケットに入る(=他人にお財布を持っていることを気付かれない)薄くて小さ目のサイズであること。防犯目線
  • 自分も、空手道場や小さなお使いに出向くとき、いつもの長財布でなくミニ財布を持っていけたほうが便利
  • 自分の好きなカラーがあった

こういった思惑から、使い勝手が良く色々なシーンに対応できるのなら、と購入に踏み切りました。

 

肝心の息子へ使用感を聞いてみたところ、まったく問題なく使えているようでした。お使いのときには必ずレシートを受け取ってくるようにさせているのですが、レシートも半分に折るだけで楽に入れられるようです。

よく考えたらこのお財布自体がなかなかマニアックなので、万が一落としたり盗られたりしたときにも「うちのだよ」とすぐ話が付くかもしれません。

 

大人の自分が使ってみると、特別な作り(コインスペース)は飾りのようなもので、革や優しめのジッパー(樹脂製)の手ざわりが嬉しかったり、シンプルな佇まいが気持ちよかった。

 

もちろん安いもので済むならそれに越したことはないけれど、値段はさておき、長く使っていけそうなものが手に入ると、日常の中に小さな喜びの種が増えるものです。

この場所から動けないなら、そこでの幸せについて精査すれば良いのだ。

床屋が共産主義風にしてきた夫の髪型を更生させる

ママンは激怒した。まいど、二児の母です。

 

夫と息子は近所の、地域に馴染んだ「ヘアーサロンないとう(仮)」という床屋に長年通ってきた。行きつけだから店のおじさんも顔を知ってくださっているし、コロコロコミックを読みながら待てるというのがお気に入りだった模様。

思えば、数週間前に息子だけがカットに出向いて帰ってきたときにその兆候はあった。「あれっ?」と思ったが、「昔ふうのスポーツ刈りか、」と自分をやや強引に納得させて、そのうち息子は息子で毎朝さほどキッチリしてない髪型に戻っていったので、違和感も薄れていった。その矢先の出来事であった。

 

おととい「ちょっと伸びたよね、ないとう行ってくるわ」と言って、帰ってきた夫の髪型をみたわたくし、冒頭へ戻る。

 

なにしてくれとんねん、ないとう。

速攻、呼び捨てであった。

 

危険すぎるので極力控えた書き方にしたいのだが・・・某国では最も偉い男性だけが許されるヘアスタイルがあるのではないかとこの頃思っていて、夫のヘアはまさにソッチ系に持っていかれていた。調べてみるに、最近のメッシがかなりそれと近かった。

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パパヌンティウスよ、「メッシみたいにしてください」と言ったのならまだ分かる。一体いつから君は、にわかサッカーファンを超えたのだい。

万が一そうであったとしても、メッシはヘアセットしてトップをクイッと立てているではないか。お前という者は、なんもされないで帰ってきているから、細面の顔が引き立ってこっちの人まで彷彿とさせているではないか。

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ちょっとここ(椅子)座ってみて。と言い、思いっきり刈り上げられたサイドの上にしっかりと「乗っかった」感じになった、夫のヘアトップをかきあげ観察した。伸びっぱなしだったこの部分に漉(す)きといった工夫は施されておらず、まさにビフォーのまま「乗っかって」いて、その妙なかわいさがわたしの怒りに拍車をかけた。

こんなことは今までになく、まぁ普通の短いおじさん風カット、ぐらいで済んでいたのだが・・・。

極限まで刈られたサイドを眺めながら、昼間通りがかるたびに店先で居眠りをしているないとう氏の情景を思い出していた。まどろみのうちに彼の中の何かがいつの間にかひなびてかすれ、消えていったことに(失礼)。

 

わたしがときどきお世話になってた美容院がすぐ近くにあるから、そこ行って直してもらうといいよと提案をした。夫は服装や髪型をはじめファッションというものに気を配ったことがなく、自由で男だらけだった学生時代を色々な意味で引きずっているので「美容師へどうお願いしたらいいかわからない」と言い張ったし、そういうこじゃれたことについてヨシ調べよう、という考えも持ち合わせていなかった。

しかしこのままでは、彼が視界に入るたびにわたしは、そういう彼の性質およびないとう氏に対して、怒りや残念感ひいては憎しみを抱いてしまう。日々そういうメンタルで過ごすことは子どもたちも含めた家族それぞれに暗い影を落とすことが目に見えていたので、「わたしがお金を出すし、指示書も渡すから美容院へ行って」と懇願した。

強引にその翌日に行けるよう美容院の予約をとり、美容師へ渡す指示書を夜半のうちに作成した。下書きまでして、分かりやすく必要最低限のことを盛り込んだ。

 

【指示書の内容】

①今のヘアカットの困り点について、説明

高いデザイン性は無しで、サイドとトップがくっきり分かれた状況。トップが長く、分け目がある。本人も分け目が出るのが気になっているが、どうスタイリングして良いか分からない。スタイリング経験もなし。

 

②修正してほしい方向性

トップのボリュームを削ぎサイドと馴染むよう調整を。トップは分け目が出ないくらい短くても良い。オシャレな短髪を目指していただきたい。

 

③本人のファッションやライフスタイル

自由度の高いビジネスカジュアルなのでシャープなイメージ。ジョギングが趣味で暑がりなのでスポーティな方向性も良し。

 

夫は余計な出費を避ける人間ということもあり、完成させた指示書に目を通しても不満顔であった。何も文句を言わないまま不満顔が続くときの彼からはとても離れたくなるが、今回だけはお願いを通さなければ。

「最後に、 "ほぼこういう流れでお願いしたいのですが、本人と話し合いながら進めてください" と書いてあったって、俺からは話し合うことなんて無い」とまで言われ、この野郎どこまで保守的なんだと噛み付きそうになったけれど、自分のミッションを通すためとにかく冷静に、しかし彼のヘアスタイルからつい目を逸らしてしまいつつ、懇願した。

「話し合う、といっても流れとしては、美容師さんから指示書を元にモデル写真などを提示されて、こういう感じのヘアスタイルにしていいですかというご提案が来るから、それについてGOサインを出してもらえればそれで良いです。とにかくお願いします」

 

帰ってきた夫はメッシを超えていた。ちょっとベッカムかと思った(表現が古い)。何より、笑顔だった。

「君の作った指示書、美容師さんすごく褒めてた。あの指示書は、俺のカルテと共に美容院に保管されることになった」

 

うるせえ。笑

しかし、ヘアスタイルによって夫をみる目はだいぶ違う。きちんとしているとやはり嬉しいものだ。

 

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どちらの妻と一緒に暮らしたいかという観点からだって、一目瞭然だろう。

がんばって本当によかったな、救われた。それしか言えない。

 

人は見た目が9割なんて本もあったけど、やりすぎない程度に見た目に気を配っている人は健全であると思うし、「やりすぎなさ」はセンスとしてレベルが高い。

ヘアスタイルをはじめとするファッションについては、長らく学術的スキルを高めてきた方々ほど軽視するケースがあるが、頭から馬鹿にせず、何事にも好奇心を持って精進していただければと願うばかりです。

 そういえば夫に美容院代渡すの忘れた。

お題「最近涙したこと」

ママンと空手のなれそめ

勤務先(うなぎ料理店)繁忙期と同時に子どもたちの夏休みスタート、早くもデッドの二児の母です。

 

小柄な女で基本的には主婦の身ながら、空手道場という空間に混ぜていただいて10年目を迎えてしまう。10年とはいえ出産を挟んでブランクもあったし、組手などが強かったり何かがものすごく上手いということもなく、マイペースでやらせていただいているのだが、級を得て数年たつともう1つ上の級(新しい型を教わることができる)を目指そうかなという気分になり、それを繰り返していたら黒帯直前の級まであがってしまった。

人生の先輩がた(おじさんたち)が「アザレ先輩」と呼んでくださるのが非常に申し訳ない今日この頃だが、お題にかこつけて、32歳で入門をした当時のことを振り返っておこうと思う。

 

5年前ぐらいは、当時のことを話そうとすると嗚咽が止まらず、言葉にならなかった。今は、仕事の配属が変わって新鮮な心持ちで働いていることや、子どもたちそれぞれが健やかに成長を続けていることや、仕事先の方々や稽古生の方々や家族、そういった多くの柱に支えられ、また経過していく時間のやさしさもあり、穏やかに向き合えるようになってきたと思う。

 

生まれながらに問題を抱えていて外へ遊びに行きたがらない幼い息子と、2人っきりの事務所で働きそのまま家へ帰ることを3年間繰り返した結果、

32歳のわたしは昼な夕なカクテルを自作しては呑み、幸福感を求めてデパートをベビーカーでまわってはカジュアルで高い服を買い、社会人時代に折角貯めてきた自分の貯蓄を喰い尽くしかけていた。自分がヤバそうなことは気にならず、狭いままの世界で暮らしたい性格の子どもと2人きりで生きる毎日がひたすらつらかった。

その頃、世界が怖くて仕方がない息子が唯一ベビーカーから降りてくれる、近所の小さな公園を通ると、植栽に埋もれた小さな掲示板にまた小さな3色印刷のポスターが貼られていた。誰も見向きもしないようなそれが、今通っている空手道場の入門案内だった。

 

「あのポスターを見つけて入門してきたのは、君だけだよ」

と現在の空手の先生はお笑いになったけれど、転機というものは、ドラマティックに訪れるというよりはこうやって日常の中でささやかに待っているものかもしれない。

 

近くに空手道場があるんだ・・・と思ったら、大学時代に小さいながらも楽しかった空手部の稽古や仲間たちのことがしきりに思い出された。昔から運動がひととおり苦手で文科系部活ばかりだった割に、空手の稽古は在学中続いたことに気付いて、沼底に淀んでいた心が動き出した。

 

「身体も心も限界だから、本気で鍛え直さなければならない」

とだけ真摯に夫に伝え、夫が居る夕方に大人の部の稽古があることも突き止めて、子どもを夫に小1時間みてもらいながら稽古へ出向いた。

 

おそるおそる出向いた最初の体験日に、今思えば滅多にいらっしゃらない女性が稽古にいらしていた。後から聞けば、そのかたは子どもの頃から成人になるまで稽古を続けてきた稀有な黒帯だった。生後まもない赤ちゃんを連れていて、ひっくり返したビッグミットへその子を上手に乗せてご機嫌にしておいてから、離れた場所でサンドバッグを殴っていらした。

 

また、のちに大先輩と呼び目標にすることになる女性も、少しだけ顔を出していらした。

その日、わたしはちらっとだけ見えた彼女を自分よりずっと年下の独身だと思い込んだのだが、あとあと、彼女は自分よりも年上で、中学高校のお子さんを2人も育て終わっていることを知る。

 

「赤ちゃんがいても、空手の稽古は出来る」

「空手と美しさは、共存が可能である」

 

そしてトドメに(?)、当日初対面であったわたしの先生は、わざとくだけたお話し方で、最後にこんな一言をくださったのだった。

「あのねえ・・・すごく怖い顔で稽古をしていたけど。

そんなに、気張ること、ないのよ?」

 

当日はなんとなく感じた程度で終わったが、こうして改めて書くに、わたしは稽古の初日でもう答えを得てしまったのである。

 

深層心理について素人が述べるのはいかにも陳腐で避けたいことだが、とにかくその日に道場への入会を決めたわたしは覚悟というより、落ち着きを得ていたように思う。それからは義務感もなく稽古に出たし、楽しんで打ち込んでこられた。稽古を休まざるを得ないような大怪我も一切なかった。それは、先生のお人柄や鍛錬・稽古内容を常に工夫されていらっしゃることもあるし、この道場に通っている方々が「稽古にはなるように、しかし怪我には至らないように」と上手く加減をしてくださっているお陰でもある。 

 

空手の稽古をすると当然ながらしんどく、帰宅後の家事や幼子の寝かしつけを無理やりこなして、時には汗だくの稽古着のままで倒れるように眠った。それでも空手の所作は、じわじわ我慢をする系のヨガ等よりもずっと変化があって好きだ。これまでの文章を台無しにすべく一言でいってしまえば、根がマニアックなのである。

 

特別お題「『選択』と『年齢』」

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はてなブログに外部アクセスカウンターを装備する

PTAダブル役員を退任してからは仕事に家事にこっち方面に全力投球、2児の母です。

 

はてなブログにアクセスカウンターでも付けてみっか」と思い立ち調べてみたところ、はてなのサービスに専用のアクセスカウンター「はてなカウンター」が用意されていました。しかし、じきにサービス終了する。何というタイミング。

しょうがないので、よその誰かが勝手に作ってくれているフリーのアクセスカウンター(フリー素材みたいなもん)をはてなブログのトップ画面に乗っける方法を調べました。

 

「だいたいの数がカウントされるやつがブログのトップページに貼れればいいや」というてきとうなスタンスでカウンターの選別や設定を行っていますので、正確な外部アクセス数を真面目に知りたいかたは google analytics といったものを使うといい模様、自分で調べてほちい。

 

検索してみてすぐ見つかった rays-counter を今回は利用します。

このサイトにて好きなデザインや表示件数などを選択し「カウンター作成」ボタンをクリックすると、タグという長いテキスト文字が表示されるんでこれをコピーしておきましょう。

 

そして、はてなブログの管理画面で以下の作業を行います。

今回は、サイドバーにアクセスカウンターを設置します。

  1. 「デザイン」をクリック。
  2. 「カスタマイズ」→「サイドバー」→「モジュールを追加」をクリック。
  3. 「モジュールを編集」ウィンドウにて、rays-counter でコピーしたテキストをペーストします。タイトルはお好みで入れましょう。【適用】をクリック。
  4. デザイン画面にて【変更を保存】をクリック。
  5. はてなブログのトップ、サイドバーにカウンターが設置されます。
    場所の入れ替えは、カスタマイズ画面中「サイドバー」の中でドラッグして調節できます。

 

カウンターのデザインを途中で変えたくなったときには、現状カウンターにて表示されている数字をメモしておき、rays-counter のカウンター作成画面にて「カウンターの初期値」にそれを入れたら、まあまあ続きからスタートできる感じになるのではないでしょうか。

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やったことはすべて蓄積される(ダメージも)

健康なようでいて身体のことには鈍感なのかもしれない、二児の母です。

 

昔から奥の銀歯の辺りが腫れやすくここしばらくも調子がよくなかったので、ちょっと心配になってきて久々に歯科で検診してもらいました。

腫れた辺りはひどいことになっておらず良かったものの、優しい女医さんから衝撃の告知が。

 

「アザさん、下の歯の内側を見てください。歯茎の近くが、左右不均等に隆起しているの分かります?」

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「これは後天的に出来たもので、科学隆起っていうんです。歯ぎしりや食いしばり、することありませんか?」

 

歯ぎしりは無いですが・・・

ああっ(゚д゚)!

空手を10年ほどやっていまして、ミットを持って人(おじさん多し)の蹴りや突きを受けるときにおもいっきり歯を食いしばってますぅ!!!!!

 

「食いしばりが多いと、"支えなきゃ!" って下あごの骨がこういう風にがんばって、育っちゃうんです・・・。

あと、腫れていた上の奥歯がちょっと揺れてきているのも、食いしばりが原因かもしれません。」

 

40代になってからも骨が育つなんてこと、あるんですね・・・。

 

よくないよくない

 

空手では、特に回転をする型なんかでヒザを痛めやすいと聞いています。特に女性だとヒザが柔らかいのがかえって災いするそうで、故障を招いて持病と化したり辞めてしまう先輩方を目にしてきました。

わたしは幸いそういうこともなく、また、周りの稽古生(ほぼ男性)の方々が上手に加減しながら相手してくださるお陰で怪我もなくやってこられたのですが、どうしても小柄な女の身。40代なんて身体のピークはとっくに過ぎている年だし、どこかで疲れやダメージは蓄積するんだろうなと薄々案じていた折でした。

 

稽古は、己の身体へ鍛錬の薄布を一枚一枚重ねていくようなもの。

歯へのダメージも然りだったというわけか・・・。orz

 

ちうわけで、ばりばり組手やったり格闘系というわけじゃないのに、この歯科医にてそのまま「歯ぎしり名目」でマウスピースを作る手続きをとりました。(スポーツ用、で作ると保険が効かなくて高くつくらしいです)

自分のモットーは、「空手も大事だけど、同じぐらい、家庭も勤務先のお店も大事」。そこへ、「歯も大事」が追加されました(守らないといけないもん多すぎ)。今後、食いしばりが生じそうな稽古のときは装着します。

マウスピースをはめて稽古に出てくるなんて、ガチ組手やる気がいっぱいあるみたいでイヤです。

 

恥も外聞もなく、前倒しで自分をいたわって生きていきます。